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final Piano Forte IX

 電車で、街で、片時もイヤホンを外さない彼らへの僕の眼差しは、冷たい。

僕も結構な音楽アディクトを自認しているが、あの振る舞いだけは虫が好かないのだ。

何せ耳に悪い。本当に音楽が好きならば、それを出来るだけ長く楽しみたいと願うものだろう。今さえ良ければ、はもう古い考えであって、聴力を考える上でも持続可能性が肝であると思う。 


 と、小言を一くさり述べたところで本題に入ろう。漫然と耳孔に収めておくには惜しい、挑戦的なイヤホンを一つ手に入れたのだ。名をfinal Piano Forte IX という。

 ステンレス削り出し、鏡面仕上げのハウジング。大柄のボディには不釣り合いな、余りにも華奢な布巻ケーブル。イヤホンを収める真鍮製のケースも並ではない。細々とした差異を競うのがオーディオであると理解はしているが、一目見て只者ではない代物、この手の門外漢でもわかる個性が欲しかったのだ。全く車に興味はなくてもFerrariやLamborghiniを見れば何か感ずるものがある。有体に言えば気圧される。そういう有無を言わさぬ凄味がこれにはあると言ったら、些か大袈裟だろうか。

 

 ここで僕はオーディオ機器について、音よりも見て呉れを重んじる流派であることを告白しようと思う(これで98%のオーディオファイルから見放されたな)。音が出ている時間よりも置物になっている時間が長いから、というのが建前。だが実際はどこまでも感情的な理由で、見目の好いものでないと買いたくない、買う気が起こらないというだけの話だ。そして何より、音は裏切るが、見た目は裏切らない。


 このイヤホンのレヴューを眺めると、「スピーカーの様」であるとか「クラシック専用」の様な書き振りが散見される。piano forteの出音に陶酔気味の人もちらほら。それに比べると、僕は鳥渡冷めた感想を綴らざるを得ない。端的に言って、このプロダクトの音自体にそこまで魅せられることはなかったのである。

 

 とにかく音源を選ぶのに、手こずる。クラシックとまでは言わないが、アコースティックな音楽には確かに誂え向きだ。音場が広く、響きは豊潤。いかにもイヤホンです、という様なせせこましい鳴り方をしないのも好ましい。

 

 ではその他の音楽は聴けないのか?僕の答えは、聴けなくはないが多くの場合こもり気味、である。電子音に満ち、音数それ自体も多い曲だと、このイヤホンの売りである響きの良さが災いして音が混濁するのではないかと考えている。

 

 クラシック専用、といった評価は原則として当を得ていると言っていいだろう。そういう高尚さと、それしか聴かないという清廉さがpiano forteにはよく似合う。低音、高音ともに妙なキャラクターはなく、適度にロールオフしつつも物足りなさは感じさせないのが見事。僕の抱いた不満も、限られた音源を聴く限り徹底して自然なその出音が、不自然な音楽を峻拒しているというだけの話である。

 だが後悔はしていない。このイヤホンの使いどころは極めて限られるが、全く無いわけではないし、こいつの不寛容を容れる度量が僕にはある。

 もう一度言っておこう。音は裏切るが、見目は裏切らない。机の片隅で、鈍く輝く真鍮のケース。一仕事終えたらおもむろに蓋を開け、鏡の様な銀色のイヤホンを取り出すのだ。この時点で僕の心は十分に満たされており、サウンドをつぶさに調べ上げるような疑り深い心性は消え去っている。あとはほんの少し、piano forte IXに阿った選曲をするだけで片が付き、蜜月は始まるのである。大した労苦ではない。

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